皆さんは、どんな事がきっかけで
メンタルを受診されましたか?
私は「自分より先に、
何人もの同僚が受診していた」
…というのもあったのですが、
下の漫画の様に考えた
ことがきっかけでした。
「泣くのを我慢しながら働いている」という状況が
どう考えても普通じゃなかったので、
これはもう「メンタルの診療域ではないか?」
と思ったのがきっかけでした。
受診した後のことまで
考えていませんでした。
ただ、「受診してみよう」。
それだけでした。
今は、
この時受診して良かったと
思っています。
読者様の中で、
心療内科(メンタル)を受診したことのある方は
大勢いらっしゃると思いますが、
もし宜しければ
「自分はこういうきっかけで受診したよ~」と
コメントして頂けると、
今不安を抱えている方の助けになるかと思いますので、
お聞かせいただけると嬉しいです。
↓Twitterもしてます。
仲 恵麻@nakaema1983
LEGOランド名古屋に行くのですが、プレオープンじゃなくて、ソフトオープンって言うらしいです(╹◡╹)あいにくの雨予報ですが、楽しんできたいと思います!#LEGO #レゴランド #名古屋 #ソフトオープン
2017年03月01日 23:03
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きっかけは5年ほど前でしょうか、毎日終電帰りは当たり前、休日出勤もよくあり、1度「他の人も手がいっぱいで」と言われて、旅行の予定をキャンセルしてまで出勤したら、私以外は優雅に連休を過ごしていた事もありました。
当時はそんなストレスからもタバコを吸っていたのですが、上司がタバコがとても嫌いな方だったらしく、面接の時に、勤務中には、決められた休憩時間内でしか吸わない(休憩時間は仕事のキリ次第で入りの決まっていませんでした)と話しており、実際その通りに過ごしていたにもかかわらず、なにかと「タバコ休憩取りすぎ」(1日に15分という休憩を5分づつに分けて吸いに行っており、喫煙中は常に携帯を見ていたので時間は過ぎていない)などと注意をされたり、先方のミスなのに何故か私のミスにされたり「次にやったらクビだからね」と社員全員の前で言われたりしておりました。
毎日、胃が痛いを通り越して、胃が熱くて熱くて仕方がなく、普段吹き出物は年に1回1こ出来るくらいだったのが、顔中に吹き出物だらけになり、お腹も下してしまいました。
寝るときも「寝たら明日になっちゃう、明日になったら会社に行かなくちゃ行けない、会社爆発しないかな」と毎日睡眠時間も30分~1時間寝られたらマシな生活になり
とうとう私も、なぜだか涙が止まらなくなり「あ、もうこれ限界なんだな自分」と受診を決めました。
その後も転職しましたが、またブラック企業につかまり、通院を卒業するとまた1年2年でまた通院を繰り返しています。
私はうつ病ではなく不安障害を患っています。
現在高校1年生で4月で2年生になります。
初めて病院に行ったのが中学2年生でした。
私は不登校児で学校にあまり行けていませんでした。特別体調が悪いわけでもなかったのですが、当時の私は精神的には疲れきっていたと思います。学校に行くのが苦痛で仕方がなかったのです。
でも、遅刻でも行こうと思えていたのは 病気を持っていた友達がいたからです。
その友達とは、悩みなどを打ち明けることが多くて、その中でその友達に「病院に行ってみたら?
受診をして何もなければ良かったねで終わるし、何かあったとしても自分自身と向き合うキッカケになると思うよ。」と何度も何度も言われたのがキッカケです。
正直、病院に行かなければよかったと思うこともあるのですが病院に行っていなかったら 悩み、立ち止まってしまった時に 助けを求める選択肢が少なくなっていただろうなとも思います。友達に感謝です
今はちょっと病気をした方が周りより、たくさんの壁を乗り越えられると思います。
たくさんの壁を乗り越えたから考えられることもあると思うし成長できると思います。
なので、病気になったこと 今はあまり後悔していません(´˘`*)
少しでも誰かの参考になればと思いコメントさせてもらいました♪�
私は20代でうつを発症しました。30代後半の現在もまだ通院中です。
初めに病院に行こうと思ったのは、仕事のミスをきっかけにネガティヴ思考から離れられなくなり、眠れなくなったことからでした。
そこで近所の心療内科を受診して、そのときは軽い問診を受け『うつ状態』と診断され、安定剤のみの処方でした。薬を飲んでも症状が改善されず、自傷行為が始まりこれはマズイと思い、違う精神科を受診してはっきりと『うつ病』と診断されました。
おかしいなと感じて、でも心療内科を受診するのは勇気が必要でした。今なら普通の病気と同じだと思うんですけどね。お腹が痛かったら病院に行きますよね。
以前のお話とわかってはいても、このお話を見ていると胸が苦しくなります。つらいけど、つらいと言えない状態、よくわかります。
長々とすみません。読んでいただいてありがとうございました。
少し前の出来事ですが
私も看護師として務めています。
そんな中妊娠8週で流産。
掻爬手術をしましたが経過も不良。つわりだけ残り、取り切れていないものが残り、腹部の痛み、出血が続き
「こんな仕事していなければ」「なんで私だけ??」「何がいけなかったのか」とたくさん考え
手術についても
「もしかしたら私が殺してしまったのではないか」と
妊娠も初期過ぎてまだ職場の誰にも伝えておらず
妊娠と流産とをまとめて報告しその後の手術、経過不良と続き師長も困ったんですかね
自分の病院の産婦人科でも診てもらったら安心では?との提案で受診したところ
子宮内に血液のたまりがあると
それを聞いてもう全てが耐えられなくなり
自分の勤め先の病院の産婦人科の外来で泣き崩れ、過呼吸になりしびれが出できてしまいそのまま勤め先の病院の心療内科も併診することとなりました
ある日家族に俺まで潰れる…といわれハッとしました。心療内科に行こう。この人が潰れたらわたしは生きていけない。とりあえず、何か薬が飲みたい。そう言う気持ちで心療内科を受診しました。
また完全に会う薬には出会えてませんが、どん底よりはマシだと思います。。。
入社して2週間くらいだった時から、仕事に行くと不安でたまらなく、先輩に挟まれた状態での作業だったので、迷惑かけてはいけないというプレッシャーと、先輩からのいじめから、最初は胃の調子が悪い状態が4月の終わりごろまで治らず。内科にもいって、薬を貰ってましたが効き目がなく。内科の先生にもしかしたら、精神的なものから来てるかもと言われましたが、自分がうつ病だということを認めたくなくて、放置してました。
その間に胃の調子は悪化し、1口物を入れたら吐いての繰り返しが毎日続き、不眠症にもなってしまいました。
この状態をみて母親が心療内科に行こうと言われて、GWが終わった頃に受診してもらいました。
母親もうつ病にかかっていて、遺伝的なものもあると言われました。
結果は、拒食症と身体化障害と不眠症でした。
身体化障害では、私の場合は不安になると手足の痺れと筋肉が硬直する症状でした。
現在でも不安になるとこの現象は起こります。
それからと言うと、薬を飲んでも悪化する一方で、3ヶ月で体重が12㌔減りました。
体調は悪くなるばかりで、仕事も1週間で3日間休むこともありました。腰が抜けて立つこともできなくなってしまうんです。
こんな状態が辛くて、何度も死のうのおもい色んなことをしました。
だけど、死に対しての恐怖感で途中でやめました。
入社して一年半で退職し、今現在の会社に入社したら、徐々に体調がもどり、今では薬も飲まなくても良くなりました!その理由は人間関係がとてもいいんです。恵まれた環境で働けているのが幸せだなって思います。
2011年~2015年はほんとに生きている意味もわからない状態でした。
私の場合はこんな感じで心療内科を受診しました。
完治した訳じゃないので、去年の春頃に軽く再発したので、微量の薬を飲んでいましたが、半年で良くなりました。
長くなってしまい申し訳ありません^^;
結果は「抑鬱症」でした。家族の死が原因ではなく会社の人間関係が原因との事でした。
きっかけは、なにもしたくない。リストカットが止まらない。死にたい。消えたい。どーやったら消えれる? どーやったら死ねる? と死が強い傾向でした。 泣いていたことはたまにありましたがリストカットが酷かったですね。 リストカットは高校生からしていて、初診は20歳か21歳の頃。仕事や結婚したての頃でかなりつかれてましたね。笑顔のない時期だったと思います。体重もその頃はかなり減ってたし。今は薬の影響と過食症などの影響で無惨なデブです。。
新人の頃に夜勤中に泣いてしまったのがきっかけです。
その頃は夜も眠れない状態で身体的にもキツかったので寝さえすれば精神状態も少しは安定してお仕事できるのではないかと自分の中で結論を出して眠剤をもらうために看護学生時代に心理学を教えてもらった先生のところ(心療内科)に行きました。
受診したら適応障害と言われ休職届を書かれました。
お仕事を休むことなく続けるために受診したので泣いて拒否をしたのですが「このままじゃ看護師として働けなくなる」と言われたので同期に相談してから翌日師長に提出して看護部長と面談をしてきました。
当時の看護部長がすごく理解のある方で「ゆっくり休んで元気になってまたここに帰ってきてね。待ってるわ。」と言ってくださったので休む勇気をもらいました。
少しお休みして回復して5年経った今でもその病院で働いています。
そのころは朝バイト、昼授業、夜サークルと忙しく、気づいた頃には自分が自分でなくなっていました。
でも、受診しても薬を出されるだけ。
いい医師に出会えたのはそれから5年後くらいです。
「眠れるお薬と、ちょっとだけ頑張れるお薬もらいに行こうか」と言われ行くことになりました。
今まで溜め込んだたぶんが一気に崩壊したかのように泣きました。
その当時は実家の両親が相次いで亡くなるで心が限界超えて発症。その後、育児や仕事や家族に助けられ普通に過ごし(浮き沈みはあるのですが、自分を鬱と認めたくなくて…)昨年あたりから不眠に悩まされるようになり眠れないのは辛くて数年ぶりにメンタルクリニックを受診。
現在も眠剤と付き合いながら生活してます。
昨年の今頃に比べると薬の力は借りていても眠れるようになり落ち着いてきました。
鬱とまだ認められない自分もいますが。病院から見たら立派な鬱でしょうね(笑)
職場で発作が起きて救急車で運ばれました。
その後心療内科に通いながら何度か出社したものの、会社に行く度具合が悪く、運ばれてから数日で退職しました。
しばらくは実家で療養生活を送っていましたが、半年ほどでよくなり社会復帰できました(^^)
前職を辞めて、ノルマから解放されたのが良かったのだと思います。
私の場合は過呼吸とめまい、脂汗といった症状でしたねー。
本当に辛かった(>_<)
自分を過信して過度のストレスを我慢していたし、何より真面目すぎるのでノルマは絶対に達成しなくてはいけないと自分を追い込んでいました。
それ以来絶対に無理はしないと決めています。
愛知県の大学病院で勤めていました。
私も自分の状態に気付かず、休職直前まで普通に夜勤もやっていました。
急変、患者さんの死などが重なり精神的にしんどい時もありましたが、看護師だから仕方ないんだと自分を説得して、同じ看護師の彼氏(今の旦那)は勤務が合わずに相談できず、家かえっては一人で泣いてを繰り返す感じでした。
受診前は今思うと仕事中なんとなくボーっとしてしまうことが増えて、インシデントを沢山起こしてしまうようになり、もっと抱え込み、自信を無くしていく状態だったとおもいます。
そんな日々がつづき、ある日朝出勤しようとすると突然立てないほどの全身の震え、脱力が起きて、とりあえず連絡しなきゃ(そのときは少し遅刻すると言うつもりで)とおもい、病棟に電話したら、主任にその症状なら心療内科を一度受けてみたら?とすすめられ言われるまま受診しそのまま1年休職し結局退職しました。
休職中は薬が増える一方だったのに仕事を辞めてからは驚きの回復のはやさで、今(退職して1年)は元気ハツラツです(笑)
今考えると心はもっと前から悲鳴をあげてたのでしょうが
辛いときを乗り越えてこその仕事!
弱音をいってられないんだと身体症状が出るまで自分を無理させ続けてしまったと思います。
自分が普通じゃないことを自覚しました。
職場でメンタルヘルスの研修があり
その時に、心療内科の話も聞いたので、
自分から電話をして、予約を入れました。
ちょうど夏休みのことでした。
すぐに休職をすすめられ、
手続きをしました。
ありがとうございます。私は音楽教室の講師です。
色々な世代の人々とお付き合いするので、難しい事も
ありますが、とても元気を頂いてます。自分が心療内科で受診するきっかけは
急に号泣してしまう事が多くなり、普通じゃないと気が付いたからです。
車を運転中に声を上げて、吹き出すように泣いていました。今も治療中です。
今の時期は踏ん張り時みたいで、ヨガや、歌で自分を律してます。
周りはなかなか気付いてくれませんしね・・・
私は2回あります(^_^;)
1度目は、身体が重くて重くてしんどくて、気持ちもすごく辛かったので、一度休まないといけないと思ってです。
3回程通ったのですが、「仕事は休んでないんでしょ?行けてるんだったら大丈夫」ってな感じで、診断書を書いてもらえませんでした。
本当に辛くて、でも自分では会社に「休みます」と言えなくて、それで受診したのに全く休ませてくれない…ここはもう無理と思い、やめました。あっ、薬は処方してくれましたよ。でも全く効果無かったです。
販売の仕事をしているのですが、店頭に出るのが、本当に苦痛で仕方なかったのです。作業場にいる間は人もいますが大丈夫。店頭、私はほんの数メートルしか出なくて良かったのに、それが怖くて怖くて…
眠れなくなり、一睡もできず仕事に行くことも増えてきて、ご飯も食べられなくなり、仕方ないからジュース飲みながら仕事して…
ん~その前から物忘れはひどかったです。認知症じゃないかと思っていました。決定的なことは、上司から言われたことをメモしていたのに、完全に忘れていて、その上司から「あなたメモ取っていたでしょう?」と言われ、まさかと思いメモを見返しました。普通なら言われれば思い出すのに、メモを取っていたことすら忘れていました。
その後、仕事は仕事にならなくなりました。考えないといけないことが、考えられなくなり、仕事以外の時は3.4時間、長い時で6時間、泣き続けました。
そして2度目の受診を決めました。
始めに内科に行って、そこでも泣きました。紹介状もらって今度は違う病院、2番目に近い所が総合病院だったので、その精神科に行きました。
そして、「初診では診断書は書けないのでこれで様子見て」と言われ、帰ります。
それで、もう緊張の糸が切れて、出勤しても涙が溢れ、10分程で早退させてもらい、作業場すら入らなくなり、2回目受診して休職、です。
ちょー長い文章を書いてしまいました(^_^;)すみません。しかも順番バラバラ、内容はまとまっていないし、きっと誤字脱字は多くて読みにくいと思います。申し訳ありません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
医療従事者。
元々普通の人よりメンタル強くて仕事もバリバリ。
発症4ヶ月前、婦人科の検診で癌に近い病変発見。精密検査後、経過観察に。
この時、結婚も視野に入れた付き合い始めた彼氏かおり、この病気発覚にかなりショックを受ける。
発症1ヶ月前、東日本大震災起こる。
東北に親戚が多く、犠牲者の方達を想いまたショックを受ける。
発症2週間前、人間関係で人生初の酷い裏切りを受け大ショック。
涙をこらえながら「震災の方達はもっと辛い思いしてる!頑張れ私!」
癌になるかもしれない恐怖。
子ども産めないかもな不安。
震災の悲しみ。
信じていた人の酷い裏切り。
これらが重なり発症。
心療内科&精神科受診のきっかけは、
今までの人生で味わったことのない強い不安感。
これ以上不安感が強くなって頭オカシクなったらどうしよう!
朝早く目が覚めて不安になって辛い!
仕事中も不安が襲って来るのをなんとか騙し騙し!
元々うつの知識があったのでこれは異常だ!と受診したそうです。
診断結果は「適応障害」
早めに気がついて治療と生活改善したので、お薬は3ヶ月で卒業。
診察も1年くらいで終了出来たそうです。
最初の職場の一年目終了間際あたりで心療内科を受診しました
朝は6時半ぐらいから夜は11時過ぎまで職場にいて、帰ってから夜中2時3時まで持ち帰り仕事をして…という日々
さらに園長からのパワハラを受けていたことが原因だと思います
気づいた最初のきっかけは食事です
時間があればとにかくひたすら食べ続ける日が続いて、その後突然今度は全く食べられなくなりました
噛んでも噛んでもご飯が喉を通ってくれなくて、あれ?と思ってるうちに今度は涙がどんどん出て止まらなくて、これは変だなと思い受診を決めました
早めの受診、大事だと思います
私の場合その後半年くらいで辞めて、違う職場で働くようになりだいぶ改善されてきました
ちなみに過食気味になってる時、体重は全く変化なくて食べられなくなったら見る見る体重が減って行ったので…それだけハードだったのかなと思いました
私は19歳の社会人1年目、もうすぐ2年目に入ります。私が心療内科、精神科を受診したのは、高校のカウンセラーの先生と保健の先生からのすすめでした。もともと、人間関係で悩んでカウセリングを受けてました。2年生の後半、カウセリングや生活しているなかで様子がいつもと違うと先生方が気づいてくださり、カウセリングで病院言ってみないかと言われました。最初はなんで、と思いましたが
この時、自覚症状が次々とあったんです。胸のしめつけ、不眠、無気力、頭痛、吐き気、急激な痩せ、痙攣。病院に行き、最初に書いた質問でやっとなにか普通の人と違う?と思いました。
診断結果は、自律神経失調症です。あとは軽い鬱もありました。そこから今もまだ病院とカウセリングを受けています。
いまでも、仕事以外何もなければ極力人に会いたくない生活をしてます。
二人目を出産し慢性的に体調が悪く色んな診療科にかかり検査をしましたが異常もないし良くなることはありませんでした。
友人に相談したら「精神科に行ってみたら?」と言われ、まさかなと思いながら受診すると疾患が発覚しました。
服薬するようになり、今までの不調が嘘のようになくなりました。
全然関係のないような症状が実は疾患の不調だったりするので、どこに通っても良くならないという方がいらっしゃるならまずは精神科にかかるのもてだと思います。
個人的には心療内科より精神科の方がオススメです。
精神科に通って16年です。
きっかけは21歳の時、夜寝ていて激しい動悸で飛び起きる、を繰り返したため、一番近所のメンタルクリニックに行きました。パニック障害で薬を処方してもらいました。
それから2年たち、会社で過呼吸になり倒れることが2回あったので毎月メンタルクリニックに通うようになりましたがその後短期間で自傷、摂食障害になり激やせ、入院。
それからもう12年経ちますが、慢性的な鬱、不眠症です。
初めてコメントさせてもらいます♪いつも楽しくブログ読ませてもらってます。
私、5年前鬱でずーっと悩んでました。
症状の出始めは、不眠症・激しい動悸・体温調節が上手く出来ない・急な涙でおかしいなと思ってました。
同僚に相談した所、「自分に甘えがあるからそんな風になったんじゃないか」と言われました。もっと、自分に厳しくした方がいいなども言われて、またまた自己嫌悪に陥っていった気がします^^;それから、食欲不振・自信喪失・1人になった時はずっと泣く・倦怠感・嘔吐・急激な体重減少なども前の症状から増えていきました…
その時、父親におかしすぎるから心療内科に行けと言われて通った覚えがあります。
周りから、心療内科に通うのは甘えだとか、自分を過保護にしすぎだ。などと、同僚やその当時の上司などからも言われ続けてたので、通うのにすごく抵抗があったのですが、今から考えたら「早く行って!!」と当時の自分に言いたいです。その症状のまま1年間過ごしました^^;
見かねた父親に半ば連行状態で連れて行かれて、3年間治療を続けました。初めは24種類の薬を飲んで、休職してましたが生活の大きな変化の結婚でだいぶ症状が軽くなりました。
そして、一昨年の冬に妊娠を期に鬱が落ち着いて薬なしでも生活出来るようになりました。
きっかけがないと病院には行きにくいなと思いましたし、あの時、無理矢理父親に連れてってもらえてホントに良かったと思います。今、鬱などで悩んでる方がいたら病院に行ってラクになって下さい。頑張り過ぎてるから休息が必要だよ。と言いたいです☆
今は、子育て真っ最中でバタバタしてますが、一休みしながら頑張ってますが、まだ鬱の再発はないので一安心です☆
これからもブログ楽しく読ませてもらいます(*^^*)
私も一昨年心療内科への受診をしました。
きっかけは旦那くんからでした。
当時は生後3ヶ月の娘を抱えて引っ越しました。
知らない土地、身内もいない環境でした。
私なりに24時間勤務の旦那くんに迷惑かからぬよう、頑張ってたつもりで、私は大丈夫!私は強い!と無意識にがむしゃらになってました。
しかしそのツケがとうとうやってきて、ある日の夜、気付いたら真っ暗な部屋の中、七ヶ月の娘が泣いてるのに私は呆然としていました。それを発見した旦那くんが、次の休みに隣の市まで病院に連れてってくれました。
あれから2年弱、薬はあまり飲まなくなりましたがお守り替わりに所持しています。
完全に復活とはいえませんが、もしあの日たまたま激務の旦那が帰宅して見つけてくれなかったらと思うと、娘も私もこの世にいなかったのではないかと思います。
また再発するかもしれないし、しないかもしれない。でも私は子どものため、無理はしないことだけ心掛けて今日も家族やまわりと向き合ってます。
私の受診のきっかけは何日も眠れず
耳鳴りして聞こえずらくなり食欲もなくなり体重が減っていき、何も出来なくなり、たまたま通勤で使ってた電車の広告に女子クリニックオープンの張り紙を見て、メンタルをメインで診察してますよと書いてあったので行きやすそうだなと思ったので受診しました。
何が言いたかったというと
私の場合、キッカケがあって早めの受診ができたわけでは無く
このようにしっかりやらかしてしまいました
今でもその頃の記憶が本当に曖昧で覚えていないことがたくさんあります
どうにもならなくなる前に
周りが気づいてくれたり
何かあったときに「心療内科は、、、」と躊躇せずしっかり受診することが早く治るのに大切だなぁと思いました!
わたしは1回だけ、電車に乗れなくなったときに心療内科を受診しました。
きっかけは友人に薦められたのが1番大きかったように思います。
その友人も高校時代に心療内科に通っていたことがあり、怖くないこと、使い方を間違わなければ薬に依存することはない(友人はもう服用していない為)など、渋るわたしを説得してくれました(笑)
そこで頓服で処方して頂いた抗不安剤をお守りにしていたら、気付けば電車に乗れるようになっていました。(服用した事は今のところないです)
今は、電車の件は解決したにしろ、強迫性障害ではないか?と思うことが多々あり、通院するか悩んでいます。
わたしの体験談で一歩踏み出せる方がいれば嬉しいと共に、他の読者さんのコメントも読ませて頂こうと思います。
あと、子供の頃から人と話したいのに声をかけるのがなぜかすごく怖く不安で、話せても声が震えたり喉に声が詰まった感じになってしまったり頭の中が真っ白になってしまう事をずっと悩んでいて何とかしたいと調べたら病院に行き治療出来ると知ったからです。
受診して薬を飲むようになってから落ち込みがほぼ無くなり体も楽になりました。
声が震えたりとかはまだまだですが、薬の力を借りてボチボチ治していきたいと思ってます。
最初の授業で先生から心無い言葉で叱られたそうです。初対面の皆んなの前で。それから徐々に授業に出られなくなり、外に出られなくなり、アパートで寝てるばかりの生活。何回かあいに行きましたが、怠い、起きているけど布団から出るのイヤだー。と…。明日から学校行く~と約束はするが、やっぱり行けない。を、繰り返していました。私も、まさか、そこまでココロが痛がっているなんて思ってなくて…。小中高とココロが落ち着かない時は無理をさせずに学校を休ませていたのですが、大学生なんだから、大人なんだからと、娘を叱ることも……。
こんな状態になって半年後、娘の手首に切り傷が無数にあることに気づきました。その時は、じっくりと話をしてリストカットは我慢してみると約束しましたが、やはり不安になるとやっていたようでした。主人とも話し合い私が、月に2度泊まりに行き、様子を観ようと言う事になったやさきに
娘から連絡がありました。「昨夜ドアノブに紐を掛けたけど、結び目がほどけて床に転げた。紐を掛けた記憶が無い」と。大学の養護教諭に相談に行ったら家に帰りなさいって言われた。とのこと。迎えに行き娘と話す中で、「ママ、ドアノブに紐じゃ死ねないんだよ」と、ニッコリ笑う娘。 直ぐに家に連れ帰り心療内科を受診した次第です。今は、薬と、カウンセリングで落ち着きを取り戻しつつあります。
コメントひとつひとつに返信なんて、大変過ぎます(>_<)
なかさんは、きっと私とほぼ同じ時期に仕事して、同じように潰れてしまったのだと思います(^_^;)
こうしてなかさんと知り合えて、私は嬉しいです(^ ^)
私は4年くらい前に強迫性障害と診断されました。
きっかけは車の運転でした。
自分が運転しているときに、人の横を通っただけでその人を跳ねたのでは?と思って何回も確認したり、時にはその場所にわざわざ戻ったり…
だんだん仕事でも必要以上に確認することが増え、このままじゃ仕事にならない!
と泣きながら心療内科を受診しました。
薬を飲み、なおかつ育休で仕事を休んでいるため、今はかなり症状が落ち着きました(^^)
仕事が忙しい時には泣きながら働いていたこともありました…
もしや鬱だったのかな。
あのときはしんどかったです。
私は20代前半に鬱になりました。
その頃准看護師として働きながら、看護師を目指して昼間の定時制の看護学校に行っていました。午前は仕事午後から学校、夕方また仕事に戻り、仕事から帰ったら勉強に家事にてんてこ舞いでした。県外での初めての独り暮らしもあり、アパートに帰るとひとりぼっちで愚痴を聞いてくれる人もいない・・
だんだんと眠れなくなり、夜はアパートで泣いていました。
看護の勉強をしていたので、これはヤバいと思い日曜日に診察をしてくれる精神科に行きました。2年くらい内服していましたが、妊娠した時に薬を辞めました。薬を辞めてからも1年近くは通院しましたが今はしていません。
時々鬱々することもありますが、シングルマザーなので仕事に子育てに追われてクヨクヨする暇がないくらいです(^_^;)
医療現場で働くとメンタルが不安定になる事が多いので、今はディサービスの看護師をしてます。
長々とすみませんでしたf(^^;
最初の診察の予約をするまで、いろいろ悩んだ経験があるのでコメントさせていただきました。
悩んでる方、勇気が要りますが早めに受診して下さいね!(^^)!
ずっと(10年くらい)騙し騙し生活していたけれど、昨年車を運転している時に信号待ちで不安に耐えられなくなりました。
さすがにヤバイと思い、精神科に通うことにしました。
不安性パニック障害でした。
今も、薬を毎日飲んでます。
行く前はとても抵抗がありました。
弱い自分を認めてしまうみたいで、男としてのプライドもありました。
しかし、自分の症状を素直に認めて医者にいくことも必要と感じて知り合いに紹介されて何度か通いました。
あの時の先生のアドバイスはよく憶えていて苦しくなると思い出したりします。
心の病気は形として見えないぶん、辛い思いをするのは当人だけでなかなか理解されにくいですね。
私は同居と二人目の不妊治療、精神科病棟の激務が原因でパニック障害が発症しました。高速運転中に突然の息苦しさ、めまいなどに襲われ救急車で運ばれました。そのあと、やはり胸の使え感やめまいが治らず。精神科いかなくちゃかなって悩んでいたら先輩がこう言ってくれました
風邪引いたら内科行くでしょ?
足いたかったら整形いくでしょ?
それとおんなじ!気持ちがしんどくなったら精神科に行ってきな!偏見を持ったらダメ。気楽な気持ちで行ってごらんと。そう言われすーっと気持ちが楽になり受診にいけました。
行ってよかったです。まだ通院はしてますが少しずつ前進できています。
私も看護師です。遠恋彼と結婚を視野に入れるために去年3月末に引っ越し。引っ越し前は急性期病棟勤務。仲さんと同じように激務と三交替に疲れ果て交代で回復期へ移って少し安定。でももっと患者さんの為にと思ったり仲さんがブログで綴っていたこと共感できました。
引っ越してきて何とかやっていけると思ったけどすぐ4月中頃から1人先輩看護師からイジメが始まり人格否定もされたのです。ささいなきっかけから同じ看護師なのにエスカレート!『私が悪いからだ。直すところは直して少しでも認めて貰えるようにしよう。きっと解ってくれる。』そう思ったけど1人が3人になりました。ですが他に助けてくれる同期や同僚先輩看護師や介護士さん・患者さん・家族さんに支えられて仕事は休まず出ていました。
しかし仲さんと同じようにある日ふと涙が止まらなくなって手が震え始めました。患者さんのカーテンの影で気持ちを落ち着かせて仕事したりしたけど、イジメは悪化するばかり。とうとう潰瘍で下血。夜眠れないというのはなく、私は寝すぎるくらい寝ていました。現実逃避だと思います。去年の12月中頃には仕事に行けなくなり、やっとの思いで心療内科受診『適応障害』と言われ休職したが戻れなくて今年の2月末退職。
心の傷は体の傷と違って見えないもの。脳の傷にもなって頭に穴が空いてしまうことも、いまは認められています。見えない傷を抱えないで、本当に我慢しないで早めに打ち明けていくことが大切だったと気付きました。
友達や同期同僚、家族恋人に支えられ1人じゃなかったので自分は救われたと思います。いまはお薬も1錠になりました☆
適応障害なので、働くことは可能と言われています。4月から働けるように違う病院を探して大好きな看護師の仕事を諦めないでいきたいと思っています。
私はまだ結婚子育て未経験で、仲さんとは違うパターンだと思いますが看護師あるあるというか仕事や病気のこと凄く共感できました。
仲さん、応援しています(﹡ˆ﹀ˆ﹡)♡
可愛くて癒されるイラストも大好きです。
コメント返しは大変でしょうから大丈夫ですょ♪
スミマセン(泣)
あと『頭に穴』と記述してしまいましたが、語弊があるなと思いました。
長期ストレスや鬱病の方は脳内の特定の部位にも変化が生じるそうです。『MRI(磁気共鳴画像法)で脳を調べると情動を抑える帯状回(たいじょうかい)や記憶などに関わる海馬が、健康な人に比べて小さくなる』そうです。なぜこんなことが起こるのかは『じわじわ続く慢性的なストレスがよくない』と記述がありました。
ストレスにさらされると、体内ではそれに対抗しようとコルチゾールというホルモンが増え、その状態が長期間続くと過剰なコルチゾールが脳を傷害し、海馬などの萎縮を招くとか。
ストレス下で脳は傷めつけられているのだと思いました。悩む期間が長いほど脳は傷ついてしまうそうです。うつ病の入り口の『不安でたまらない』という段階で、生活を見直すようといいそうなのですが...なかなか難しいですよね(泣)
特に真面目で頑張りすぎちゃう人には辛いから、周りで異変を察知していくのも大切なのかなと...自分がその立場になって感じました。
仲さんのブログでも再確認できたことがたくさんあります♪頑張りすぎてたなーって。
2回も長文コメントしてスミマセン(泣)
またコメントしにきますね♪
私は9年前にも半年程通ったのですが
とにかく体が動かない、家事が出来ない、食欲がなく体重が減る、どうしようどうしようというぐるぐる思考、焦燥感、不安感
以上の症状が出てから数日で心療内科へ行きました。主婦なので家事が辛く、出来ないのが1番辛くて…何かおかしいと思ったら病院に行ってほしいですね。
普通の病院と何も変わりません。
今辛い人、病院にいってくださいね!
私の場合は新聞記事でたまたま
「こんな症状ありませんか?」みたいな簡単な記事を見かけたことでした。
確か
「めまい・不眠・食欲不振・体重減少・疲労感」なんたらかんたら色んな症状が書いてありました
私は体の症状としてはめまいから始まりましたが、やがて殆ど眠れなくなり、記事にあった症状の殆どがあてはまりました。最初にめまいを感じてから約1年、全く眠れなくなってやっと「病院を受診しなければいけないのかな」と思って一年発起して病院へ行きました。
それから5年死にたくなることもありましたが
環境を変えたことやちょうど環境を変えて新しい友人達に出会い、主人に出会い・・
主治医の先生が「ご主人との出会いがいい特効薬になったね」と言ってくださって約5年のうつとの戦いがおわりました。息子を妊娠したときがもうゴールが見えてるときだったので
「これをきっかけに薬もやめていいかもね」と薬を卒業。
カウンセリングだけ数回して「よし!ここ(精神科)はもう卒業だよ!」と言っていただいたときの嬉しさは二度と忘れません。
発祥から6年、治療開始して5年でしたがものすごくきつくてつらい期間でした。
私の場合は恋愛・結婚・妊娠の幸福感がうつからの回復に大きく影響しました。
だから主人と息子は私の恩人なんだな・・・と今振り返ってみて思います。
よく考えたら
主人に甘えてばっかりで恩返しができてない・・・(@@)
そして、小さい頃から演歌歌手を目指しています。
元々、専攻は言語聴覚を希望していたのですが、不合格となり、社会福祉を勉強することに。
大学入学し、少しずつ社会福祉の楽しさを感じるようになっていたとき、デビューの話がきて、退学も視野に入れるように。
退学するなら、短期養成施設のことも考えなきゃ。
でも、友達と離れたくない。
福祉も捨てたくない。
歌もやりたい。
次第に、授業に集中できなくなっていき、知らぬ間に自傷行為に走っていました。
眠れなくなって、友達からも心配され、歌も歌えなくなり、他大学で社会福祉を学ぶ友達に相談し、心療内科の受診に至りました。
そして、うつ病と診断されました。
「やっぱり。」と言う気持ちがあった一方、「どうして福祉を学んでいる自分が?」「支援する立場に立とうとする人間がうつ病にならなきゃいけないの?」
死ぬことも本気で考えました。
現在は、精神保健福祉士を目指して、三年生からは精神保健分野を学ぼうと考えています。
いろんなことがあった2年間でした。
自分の病気と向き合い、この経験が役立つ日がくると信じています。
そして先日、2度目の婚約破棄。
今も薬は飲んでますが、今月末からアメリカ留学に行きます。主治医にはアメリカに行けば薬もいらないだろう、止めていいよと言われました。今は前向きに自分のしたいことの為に頑張ろうと思ってます!
私は朝急に頭痛と吐き気がして、風邪かなぁと思いながら化粧をしていたら、突然涙が出てきて、仕事行きたくない・・・気持ち悪い・・・風邪?なんだー? 涙が止まらなくなり、たまたま休みだった旦那さんに心療内科行こう
と言われて、午前中は心療内科?私が?と受け入れられずでも吐き気、息苦しさがエスカーレトして午後から、連れて行ってもらい、病院で吐くし泣くしで辛かったです。
二ヶ月前から旦那さんからおかしいと言われてました。鬱と診断される一週間前は同僚がいつもとの違いに気づいてくれていました
自分ではすぐキレるし、不満ばっかりでとにかくイライラしていたと思います。
自分から心療内科には行かなかったかもしれません。
当時母親がうつ病で心療内科へ通っていて、普通ではない私の様子を見た母が連れて行ってもらった…という感じです。
それから中学校を卒業するまで通っていて、もう大丈夫だと感じたことと主治医が合わないと感じたので通院・服薬を勝手に辞めてしまいます。
そのことと高校(定時制で単位制)に入ってからそれまで別室登校だったのに毎日休まず授業を受けるようになったことが原因で高校1年目の冬に毎日のように過呼吸を起こすようになってしまいます。
それがキッカケで現在通っている病院へ通うようになりました。
その時の主治医は高校1年目の冬から高校5年目の夏まで診てもらったのですが、こんなにしんどいのに何も診断されない…と思って女性の主治医へと変更してもらい、高校5年目が終わろうとする現在へと至ります。
現在は割と落ち着いていて学校ではなく在宅ワークの他にアルバイトも始めようかと思うほど元気にはなっているのですが、中学3年生の一時期と高校4年目夏~5年目秋は自傷行為が酷かったです。
特に高校5年目の夏前と秋の2度、校舎の3階から飛び降りようとしてしまったことがあった頃は落ち込んでいて、いつ自殺をするかということばかりを考えていました。
その時に支えてもらった担任の先生や保健室の先生、主治医、家族、友達、彼氏、後輩には今ではとても感謝しています。
それから23歳まで通院しました。
私が初めて心療内科を受診したのは、半年ほど前です。
約1年前からめまいや耳の閉塞感など突然の体調不良で、なんとなくホルモンの関係かな?と思い婦人科を受診。
診断は自律神経失調症でした。
それから2週間、まるで自分の体じゃないような感覚に恐怖を感じながらもなんとは仕事へは行っていました。
そしてついに、外出や車の運転、買い物や電車に乗る事が出来なくなりました。
主な原因はストレスとの事でしたが、その時は私にストレスなんかないのに…と思っていました。
今思えば、職場の人間関係や自分の将来への不安などで、悩む事もあったのに、それが自分にとってストレスだという事に、気づいてすらいなかったんです。
理学療法の治療のため、整骨院に通っていましたが、時々体が動かなかったり、涙が溢れたりするのを見て、心療内科へ行くよう母に説得されました。
カウンセリングを受けてみたものの、自分には合わないと感じ、今は休職のための書類を書いてもらうために、月一で心療内科を訪れているだけです。
薬も服用していません。
私の場合は整骨院の先生が治療をしながら話を聞いてくれるし、元気になったらあんなことやこんなことがしたいと、目標に向けて一緒に頑張ってくれるから、そこでココロのケアもしてもらってるんだと思います。
今思うことは、もっと早く自分のSOSに気づけたら良かったなぁという事です。
体はサインを出していたのに、気づかないフリをしていたから。
休む事は甘えじゃない!と、同じように苦しんでいる人に伝えたいです。
今は病気と向き合い、周りに頼ること甘えることを努力しながら頑張らないようにしてます。
抑うつ状態が辛い日々で何度死にたくなったことか。
長くなりすみません。
一番最初は、過呼吸が頻繁に出るようになってからでしたね
けど、カウンセリング料金がやたら高くて病院を転々としました
今は、ADHDでADHD研究第一人者のドクターの所に通院しています
のちに、最初の過呼吸や鬱など全てADHDの二次障害だったことがわかりました
精神科や心療内科は敷居が高いと思われがちですが、なんてことはないです
ただ、精神科や心療内科は特に先生との相性が大事だなと思います
私が心療内科に受診したきっかけは、何か色々おかしくて誰もいなくなった後の仕事の作業場で泣き出したり、更衣室で泣きながら着替えたり、寝る時に3時間くらい泣きど押して眠れないのが約半年くらい続いたのでおかしいなと思いながら内科に風邪も引いていたのでついでにメンタルの方も見てもらおうと思い、受診したのですが、風邪はなんともなくて、そっちのメンタル側の方がやばいそうなので、個室に連れてかれいろんな検査を受けて車で心療内科に強制的に診療させられたのがきっかけです。
すっかり、それ以降薬もいただき完治?とはいかないとは思うのですが良くなりました。
あの先生には、感謝しています。
仕事場、地下鉄の中等の公の場でも涙が止まらなくなる状態でした…。
お医者にかからないで完治させました。
他の方々のお役に立てたらと思い、サイトを作成しました。
もしよろしければご参照ください。
https://isshoninorikoeyou.jimdo.com/
「最近おかしいよ?病院行ったら?」
と周りが見てもおかしくみえたらしく、体調も悪かったので内科に受診しちゃったんですね。でも、内科の先生が問診し終わったあとに
「あなたが来るべき場所はここじゃありませんよ。紹介状出しますからここに行ってくださいね。」
と、心の病院を紹介されました。きっかけは仲間の発言でしたが、先生の適切な判断で心の病院を紹介してもらえたのは助かりました。
私は9年前に初めて心療内科を受診しました。
元々がネガティブに考える性格だったので、鬱っぽいことは日常でした。睡眠や食欲に影響があるわけでもなかったので、自分が病的であることには気づいていませんでした。
ただ、徐々に夜が眠りにくくなり毎日のように中途覚醒をするようになりました。
ある夜、中途覚醒した時に『あー、私はいつでも飛び降りれる』と思いホッとして眠りにつきました。
私は集合住宅の14階に住んでいました。
朝目が覚めてそのことを思い出した時は、本当に恐ろしくて主人に話し受診することにしました。
昨年初めに病院は卒業しましたが、ネガティブな性格が変わったわけではないので忙しかったりすると調子を崩します。
でも何とかやっていけるようになりました。
この頃、同僚から痩せた痩せたと言われ、痩せた事に気付いていなかったのですが、この時の体重は37㌔(ちなみに身長は162cm)、運ばれた先の病院で心療内科を受診するように言われました。
元々、自傷行為をしていたのもあり受診を決意しました。
結果は、うつ病、パニック障害、睡眠障害、解離障害でした。
そして現在、また不眠と自傷行為をしたい欲と闘ってます。
妊娠をして、医師の判断なしに勝手に薬を辞めました。
それがいけなかったのかはわかりませんが…
シングル(二人暮らし)でのフルタイムの仕事、育児、家事...全てを1人でやっているので、こんな所で負けてはダメだと言い聞かせて頑張っています。
倒れる前に休む事も大事だと、漫画を読んで思いました。
しかし、実家に頼れない私には休む事が出来ないんです。
私が頑張らないと、我が子を育てていけない。
ずっと、子どもに何かあった時に気付けなかったら怖いからと、薬に頼る事も嫌でした。
でも休む事は出来なくても、もう一度心療内科を受診してみようと思います。
いつも勇気をもらってます。
有難うございます!
彼氏の様子がうつ病っぽく病院を進めましたが
乗り気じゃなく、一度行くことを約束してくれたものの、まだ行く様子がありません
みなさん自分で行くことを決めた方が多いようなので、やっぱ自分の中で決意しないと難しいのかな、と思いました
それでもやっぱり、早期治療が良いことは分かりましたので負担にならない程度にすすめたいな、と思います。
その時は心療内科に行きました。
でもあまりいいところではなく、先生も話を聞いて、薬を出して、はいおわりーって感じで(T_T)
もっといいところに行きたかったなぁと思います。
好きな人を守り支えたいと思ったときに、私は良くなりました。
ですので今は、回復しています^_^
私は新卒で入社半年後に鬱状態になりました。
そもそも私自身の鬱っぽい症状は中学高校でのイジメがキッカケではありましたが…
まず、昼ごはんを社員の方と食べるのがしんどくなりました。
その後1人で食べられるスペースを見つけて1人で食べるようになりました。
しかし、1人で食べていてもご飯が半分しか食べられなくなりました。食べようとすると吐きそうな気持ちがしてました。
その頃から睡眠もバラバラで、2.3時間毎に起きるのが2日に1回でした。
本題の 心療内科に行くきっかけですが。
6月に総務課から都内のカウンセリング受けてみないかと連絡を受けたことでした。
実際受けてみて、今までの体調とか話してみて、そこでカウンセリングの方に心療内科を勧められました。
その後毎週の診察でボロボロ泣いてましたが実はあんまり和らいでいる気はしませんでした。
その後8月下旬に体調面悪化からの脚を剥離骨折しまして休職→退職してました。
多分病んでるか分からない頃は周りの友達や級友に話を聞いてもらって、気づいてもらうのが一番だと思います!
今は服薬も減り、新地で元気にアルバイトしてる毎日です。笑
私は昨年心療内科に通い、不安障害からの最終的には適応障害という診断でした。
最初に受診しようと思ったのは、仕事中に耐えられず泣きそうになってしまったことでしたが、しばらくしてその症状が落ち着いたことと仕事が忙しくなったのでやめてしまいました。
結局心療内科を受診したのは自分自身がやばい、おかしいと感じたのではなく、母から受診をすすめられたからです。
自分では本当に無意識の行動だったのですが、髪を抜く行動がエスカレートしていたそうです。調べてみると髪を抜く(抜毛症)は自傷行為のひとつであることを知り、受診しようと思いました。この時点ですでに食欲不振、睡眠不足等の症状があり、休みの日は夕方になるまでベッドから出られない状態でした。
いろいろと不安でしたが、制度もそれなりにあるようで最終的には退職を選びました。今は転職活動をしながら、自分の感情やストレスとどう向き合っていくかを考えながら過ごしています。
心療内科に限らずですが、相性もあるので早めの受診をおすすめします。受診するまでに戸惑いがありましたが、受診した今では受診してよかったなと思っています。自分の状態を知り、苦しかった状況から少しでも脱したので。
薬の処方では改善せず、結局当時付き合ってた人とは別れ、親から離れ、仕事もやめた現在改善されてます((笑))
地域センターのカウンセリングも受けました。
もう無理だと身体が訴えたのだと感じてます。
離婚をして子供達と実家へ戻り、母からの過干渉・離婚後のお金の後始末・今後の不安などから、体に変化が出始めました。
お腹が空かなくなり、体重激減。全く眠くならず、1時間も眠れなくなりました。
集中力もなくなり好きな事が出来なくなり。
でも、そんなにヤバイとも思わずに、不眠症かな?眠くならないから眠剤もらいにいこー!くらいの軽い気持ちで、心療内科を受診しました。
診断は大鬱病。本当びっくりしました。嘘でしょ(笑)って。
それから10年通院・内服しています。
最近良くなってきたので、数ヶ月前から減量、2ヶ月前からお薬をやめています。長かったー!やっと前進です( ´ ▽ ` )
まだまだ不安もありますし、理解されたりされなかったり色々ですが、のんびり頑張ろうと思います!
長文になってしまい、すみません。
誰かの役に立てれば幸いです(^^)
私は、こうでなければならない、という考えから自分を追い詰めていました。夫とケンカになり「おかしいんじゃないか?」と、言われハッとしました。泣きながら心療内科にかけこみました。
私の受信のきっかけは、眠れなくなったことです。眠れても1時間が限度でした。
私は、介護士です。仕事が忙しく夜勤もしてました。その忙しさに流産が合わさりますます眠れなくなりました。仕事中に涙がでるのに涙を拭いて笑ってました。自分は、大丈夫。平気って思ってました。頼られているから頑張らないと。頑張ったら次は、もっと頑張んないと。失敗したらなんでこんなにもできないんだろ。自分は、いらない人だな。など考えていました。
今は、落ち着いて違う仕事ができるようになりました。
2年目に組んだ先生はベテランでしたが、気分屋で表に機嫌が出やすく、機嫌が良くない時は無視されたり怒鳴られたりしていて、ついていくのが本当に辛かったです。
初めて受診したところは、数分の面談と薬の処方のみで、2度通ってから行かなくなりました。
新年度はペアの先生の機嫌を伺いながら過ごす日々で、症状は悪化し、月経不順、食欲不振、目眩、疲れが取れない、不安感、手足の震え、眠れない、夜中に何度も目が覚める等の症状も出るようになり、無理矢理出勤しても早退することが続きました。
あまりにも酷い為、早退してすぐに受診できる病院を探し、受診しました。
とても丁寧に話を聞いて下さり、適応障害と言われ、安定剤と睡眠薬を処方してもらい終了。
次の日、主任に結果を報告し、様子を見ながら仕事をする事になりましたが、症状は変わらず、原因の先生と離れられるように他のクラスに入るようになったものの、効果がなく、ある日保育中に薬の副作用や普段の寝不足、疲れから目眩で動けなくなり、早退。
丁度、次の日受診だったのですが、鬱状態ではないかと言われ、増薬し、2週間の休職という診断書が出ましたが、無理に復職しても悪化するだけだと期間は延長され、計6ヶ月半程休職しました。
園長と面談し、辞めたいという事を伝え、その後のキャリアの事等配慮して頂き、3月末まで復職を前提としない休職期間とし、その後退職しました。
子どもが登園する直前まで涙が止まらず、せめて子どもや保護者の方の前では元気な先生でいようと無理矢理笑顔を作っていた毎日。
寝たら朝になり、また出勤しなくちゃいけないんという恐怖感。
何度も自殺を考えました。
あの時、自分を守るために受診できて良かったです。
長文、乱文失礼しました。
いつもインスタグラムを拝見しています。
私もうつ病を患っています。
営業職へ転職してから
1年ほどで体に違和感を感じ始めました。
数字へのストレス、
仕事がうまく行かないことへの
ストレスだと思っていて
ただ、自分が仕事に行きたくないだけ、
サボりたいだけだと。
病院にもいかず
会社のメンタルチェックで通院を進められても
時間もないし、これは自分の甘えだと思いこんで
2年以上仕事を続けていました。
しかし半年程前から
吐き気や倦怠感、夜寝られないことは変わらないんですが
仕事中急に手に力が入らなくて
ボールペンを握りしめないと文字をかけなかったり
動悸が止まらない
家に帰るまでの記憶がない。ということが起こり始めました。
それでも仕事は繁忙期で時間も作れず
働き続けていたところ
仕事中の記憶がなく、お客様に言われていたことをまるまるすぽっと忘れてしまい、
お客様にも会社にも迷惑をかけてしまい
これはおかしいと思って心療内科を受診しました。
心療内科に行くことに勇気が必要で、
すごく悩みました。
うつ病って友達にも言いづらくて
家族にも言いづらくて
一人で悩んだのですが自分の体が一番大事だと思って受診しました。
現在も通院しながら仕事をしていますが、
転職活動をして、この仕事からは
離れようと考えています。
心療内科に行って
自分のことを大事にできるようになったと感じました。
鬱病と診断され、現在休職中の27歳です。
私が心療内科を受診しようと思ったきっかけは「涙」です。
仕事柄出張が多いのですが、出張先のホテルで夜寝ている時に理由もなく涙が溢れ出てきたり、営業車を運転している時に涙が出てきたりと、理由がないのに涙が止まらなかったことで、「何かおかしい」と気付きました。
気付いた時には症状は悪化しており、客先からの電話に出ることも怖くてできない、PCでメールを打つ手が震える、メール1通を打つのに1時間もかかってしまう。
頭の中では「仕事をしなきゃ!」と思っているのに行動できなくなっていました。
今思えば仕事を1人で抱え込みすぎて、キャパオーバーになっていました。
性格上、頼まれごとを断ることもできず、あれこれと引き受けてしまった自分にも責任がありますが、一番大切なのは自分の健康。
体の声、心の声に正直になって、もっと甘える、逃げる、ということをしなければならないと感じています。