「あぁ、病名付くんだな」って思いました。
そして、「絶対に休みたくない」と思いました。
私が休むということは、
更に人手不足がひどくなるということ。
そして誰かが私の勤務を
代わりにやらなければいけないということ。
それまで、どんなに体調が悪くても
仕事を休んだことはありませんでした。
(勤務中に気分が悪くなっても、
点滴をした後また勤務する…
とかは看護師あるあるですね。)
休むことなんて考えられませんでした。
看護師って、ちょっと間があくと
病棟内の状況が変わっていたりして、
患者さんの状態把握や、
治療・看護の情報収集が
大変になるんですよね…
現場から離れる期間が長いほど、
新しい医療についていけなくなるような…
置いてけぼりになってしまう気がして、
医療現場から離れたくありませんでした。
休職中も、気持ちが落ち着かなくて
「違う所なら働けるかも?」と思って
看護師派遣の仕事を探したりしました。
(探しただけで働いてませんが。)
あの頃は、仕事に必死でした。
ライターとしてお仕事させて頂いてます↓
コメント
コメント一覧 (10)
他の人に迷惑がかかる…って。
私の主治医は、あなたのその真面目な性格が逆にあなたを締め付けて不調にさせるんよ。と言いました。文字で見るとキツい感じがするかもしれませんが、主治医は私をしっかり受け止めてくれていたので、叱られたというより、なだめられたって感じですかね。常に私のストッパーの役割をしてくれました。心療内科の先生は、自分との相性が一番だと思います。
そして、診断書を出した日は、直属の上司ではなく、その上の上司(その日は休みでした)に出さないと受理されないとのことで、仕事になりました。
作業場に入ると涙が溢れて仕事にならないので、デスクワークならできるかと思いやらせてもらいましたが、いつもなら30分で終わるデスクワークが5時間経ってもできなかったです。
休職前最後の仕事だったので、私が任されているデスクワークだけは終わらせたかった…なかさんと一緒で、職場のことを考えました。でも、完成することすらできませんでした。
超キツイ直属の上司に、「ホントにすみません。せめてこれだけはやっておきたかったのに、できませんでした。」と泣いて帰りました。
その上司は、うつ病というものが存在するなんて考えられないって感じの人でした。なので、私のことは理解してもらえませんでした。
考えますよね、仕事のこと。なかさんも仕事を放ったらかしにして休むのが辛かったでしょう。
私も看護師で急性期病棟に勤務しています
看護師あるあるにとても共感したのと、うつ病の症状に勤務してコメントさせていただきました!
私の場合は
産後に発症したのですが、ブログを読ませていただき、今かんがえると
以前からそうゆう気質はあったなと思うことが多々ありました(^_^;)
旅行前にはかならず体調くずす、お腹をすぐこわすなど(^_^;)
産後に食欲不振、消化不良、パニックとまさに産後うつになりまして、病院にいったときには私も診察中涙が止まらなくて
先生の言葉や存在に
やっと助けてもらえるってなりました
お薬をのむことや、通院することにはじめはすごく抵抗もあって、専門的知識があるだけに
やっぱり何か内臓系の病気なんじゃないかと
人間ドックまで受けて
やっと受け入れたのに時間がかかりました
この仕事、自分が仕事を休むことで誰かに迷惑がかかる、夜勤やったらなおさら
と思い、体を引きづりながらも仕事してしまいますよね
私は内服しだして、効果があるときは体調がよくなるとわかってから、それが逃げ道になり
負のサイクルから2年後に抜け出すことができました
その間に自分の母親に近くにいてもらえる環境にしたり、子供を保育園にあずけて
自分は仕事に復帰して
一旦仕事のときは、子供から、家のことから離れるようにして
数年かかりましたが、内服は頓服のみになりました
外出するときはかならず持ってないとだめですが
この病気は
どううまくつきあっていくかが大事なんやなと身をもって感じました
自分にあった方法がみつかると
楽になる!って発症当時の自分に言ってあげたいです
長々となりましたが、ブログを読ませていただき、改めて自分を振り返る機会になりました!
あのころの私があっていまの私があると感じることができました^_^
ありがとうございました^_^
今は再婚して、海外赴任にくっついて仕事から離れて知らない人ばかりの場所で少しずつ落ち着いて来ています。まだ、人混みや狭い空間は動悸が起きますが…。
同じ人がいた、いる、ということで、また少し落ち着けます。
上の上司とトップの人に「休んでください」と言われ、放心状態になりました。
ぼーっとしていて、2キロ位行くと海があったので、海でも眺めようかと行きました。砂浜ではなくフェリー乗り場(^^;;7月初旬でした。
ぼーっとしていたので、海に飛び込んだら目が覚めるだろうかと思い、足をかけましたがやめました。そして泣きました。
誰かに助けてもらいたかった…
保険外交員の仕事を始めて6年ほど経過したあたりに あの東北の震災…
私の実家は沿岸部、両親や姉家族と連絡がつかず 気が気じゃなかった。
全員無事ではありましたが、床上浸水した家の再建等 とにかくやらなきゃいけない事がたくさんありました。
仕事ではお客様の安否確認で走り回り、亡くなったとの連絡をうけたり…
仕事と家庭内(主人)でのストレスが原因で吐き気 めまい 胃痛等。
何度か胃カメラで検査したところ「逆流性食道炎、胃炎、胃潰瘍」の診断。
そのうち仕事に行くこともできないくらい体調不良になり、休みが増え。
家にこもりっぱなしでいたら「自分はいる意味がない、消えてしまいたい」命を断つことが頭の中に巡りました。
冷静に考える事ができる時もまれにあって…
その時に自分で心療内科を探し、受診しました。
カウンセリング中 号泣です。
とても話のしやすい先生だったこと、否定することなく 包み込んでくれる雰囲気。
この先生しか頼る人はいない、そう思って 溜め込んでた気持ちを吐き出しました。
処方薬を飲みながら定期的に通院しました。
生活リズムを変えてみようと言われ、何となく立ち寄ったペットショップで運命の出会い。
犬を飼い始めたことにより 仕事と家庭の区別がしっかりできるようになり、精神的にも救われていきました。
仕事に関しては ノルマ的なものだったりのストレスがあって仕事に出られないのは変わらなかったので、3年前退職しました。
不思議なもので辞めて しばらくしたら体調回復してきたんです。
ストレスがどれだけ身体に負荷をかけるか、身をもって知りました。
前職を退職して2ヶ月後、現在の職場で働き始めました。
ストレス0ではないですが、働きやすい職場なので 3年たった今も元気に働けているんだと思います(^-^)
がむしゃらに頑張ることも必要だと思いますが…
行き過ぎると身体が悲鳴をあげますね。
これからもそこを気をつけていこうと思っています。
うつ病と診断された後のご主人の対応など、気になります。
これからも更新を楽しみにしています。
仕事に夢中になり、仕事が生活の軸になっているのが当たり前だと思っていました。
家族の闘病、死を経験したときも仕事で忙しくしていれば悲しいことを考えなくて済むし、
「全然平気」だと思っていました。
でも、それってもう正常なことではなかったんですよね。
偏頭痛や睡眠障害,,,,体の不調はヘルプサインなんですよね。
いまふりかえると、休んでいた日々は。
全部一度お休みして、自分自身のことを思いやることの当たり前さ、大切さに気づかせてもらった大切な時期だと思えます。
自己犠牲なんて必要ないんですよね。
幸せに毎日笑顔でいられることが、「当たり前」なんだと今は思います。
エマさんの真面目な性格、頑張りすぎる性格が
感じられます。
精神科医の診断を受け止めて
休職する決断に至ったことはせめてもの
救いです。