
うつ病患者の家族は、本当に大変だと思います。
私自身も、自分がそうなるまで
「どう接したらいいのか」なんてわからなかったので。
だから、私の気持ちを汲んで見守ってくれた家族にはとても感謝しています。
一番身近な家族が受け止めてくれるかどうかで、その後の快復具合も変わるものだと思います。
本などに書いてある通り、
私の場合も「頑張れ」は言われると一番嫌な言葉でした。
「今まで頑張って頑張ってこんなになってしまったのに
これ以上何を頑張れというの?」
「私だってもっと頑張りたかったけど、
もっと自分はやれると思ってたけど
体がいう事をきかないんだよ!」
そんな気持ちになるので、
絶対に言われたくない言葉でした。
20話へ続きます!
★みなさまへ★ たくさんの読者登録、コメントをありがとうございます! 皆さんのお声が聞けて大変嬉しく思います。ひとつひとつ読ませて頂いてます。
ライターとしてお仕事させて頂いてます↓


コメント
コメント一覧 (20)
私の母は「うつ病だなんて、お父さんにバレたらどうするの!?」と言いました。。。
パニック障害で身体が動かず寝込んでいた時も、どうするの!?と責められ続け、二世帯だったので一階の祖母のところに避難して寝かせて貰ってました。
祖母や叔母が理解してくれ、何も言わずに休ませてくれたので良かったです。
今は旦那が何も言わずに休ませてくれるので、本当にありがたいと思ってます!
家族の理解が一番の薬ですよね(*'∀'人)♥*+
アメトピから、こっそり拝見させていただいてました。
素敵なお母さまで、読ませていただいて、胸が熱くなりました。
ご家族が、帰る場所を作ってくれてるって、本当に、ありがたいですね。
私も、見習わなくちゃと、思いました(^-^)
私の母もうつ病でした、産まれる前からそうだったので、そういうものだと思って過ごしていました(^^;
母も真面目で頑張り屋だったので、頑張りすぎたんだと思います(つД`)ノ
長く、傍でうつ病というものを見てきていますが、やっぱり病気への理解はあっても、本当にはわかってあげられないものだと思います、それがなってる人となってない人の境界だと実感してます。
でも作者さんの話を見て、受け入れることだけでも出来れば、少しは救いになるのかなと思えました^ ^
もしかしたら今も危ないかもと思いながら生活しています。1ヶ月ほど前、同じように涙が止まらなくなりました。おかしいと思い、すぐ退職を決めました。
今、自分と向き合ながら生活しているので、丁度この鬱病一連の記事は参考になりました。やる気が起きないのが続くようなら、病院へ行こうと思います。
↑家族がいると、やる気が出てくる
いつも、楽しい記事をありがとうございます。最初から読ませていただきました♪
私もうつ病で、睡眠障害もあります。
私も最初、涙がポロポロこぼれて
心療内科に行って先生とお話を初めてほんの少ししたら
もうポロポロ、いや涙ボロボロかもしれません。
いまはだいぶ改善していますが、季節の変わり目や
今のように気温の変動が多いと体調くずなどします。
お母さまの「帰ってきたくなったらかえってきておいで」
の言葉はとても大きいなと思いました。
今となってはどうしてあんなに頑張ってしまったんだろう
(その時はそれでいい!と思っていましたが)そういう思いがあります。
頑張っていたというか無理をしていたのかもしれないと感じることもあります。
今はなるべく休むように心がけています。
私もうつ病で治療始めて7年目になります
看護師さんとは違いますが
介護の仕事でハードワーク
『あ~あるある』と拝見させて頂きました
患者様、利用者様に申し訳なくて
私も毎日心の中で謝罪しながら仕事してました
うつ病と診断受ける切っ掛けは
喘息で治療を受けていたドクターに
慢性的な疲労感、不眠
もともと暑がりなのに真夏でも
上着を着なければ寒くて寒くて酷かった
(北海道で冷房は入っていない灼熱職場で(笑))
それを相談したら可能性が二つあると
1つの可能性を消す為に内科的な検査をして
出た診断が仮面性うつ病でした
夜勤入りの日に診断を聞いたので
エマさんと同じ状況で
『どうしてって私が聞きたいよ❗』でした
今は反復性うつ病障害として治療を続けます
これからもblog楽しみにしています(*^^*)
はじめましてで長々申し訳有りませんでした
わたしはPTSDになる出来事から3年近く我慢して心療内科に行かずにいましたが、
悲しくないのに涙が出たり、家族に被害妄想のLINE立て続けに送ったり、家族まで潰してしまうのが怖くてようやく意を決して心療内科に行きました。
家族みんな鬱病ってわかってたよ。ほんとはずっと心療内科行って欲しかった行ってくれてありがとう。話してくれてありがとう。って言ってくれました。治療が遅かったのでまだまだ不安定な日々ですが味方を信じて自分のペースで治していきたいです。
一度、母の言う事を聞いて病院に行くのをやめたら、体重が10kg落ちました。当時は実家暮らしだったので、母も世間体があったのでしょう。私は独り暮らしを始め、病院に通う事にしました。
頑張ってという言葉が嫌いとの事ですが、例えば、散歩するといいよ、とか、体操しなよ、話すと楽になるよ。との助言も苦手です。さらに、ダメなのが、気にし過ぎだよ。気のせいだよ。私だってそうだよ。等の大袈裟扱いです。まぁ、いい加減、慣れてきましたが…。
(^_^;)
私の場合、涙が止まらなくなったり、体重が激減するうつ病で、その時は流石に家族も友人も「これは!」……と理解してくれました。
暫く治療していたのですが、今度は「微笑みうつ病」に……微笑みうつ病は理解してくれる人がなかなか居なくて、友人は理解してくれるのに、家族は理解してくれない状況でした(´・ω・`)
「頑張れ!」「我慢して!」が私にとってNGワードになり、いまだにこの言葉を言われると再発傾向にあります。
エマさんもおなじなんですね(´・ω・`)
私は自律神経のバランスを乱したとき母が1番の理解者でした。
ただ旦那に理解してもらうのは難しかったです。
私も母に「真面目すぎる」と言われました。今も真面目にしすぎて力を抜くようにしていますが、難しいです。
わたしの場合は強迫性障害だろうなという自己判断の段階で母に打ち明けて、「なんでそうなっちゃったんだろうねー(*•ω•)?」って明るく返されたので、あ、このままでもいいんだなって思えました。
ただ、父は絶対認めない受け入れないと思うので言えてないですけどね(笑)(笑)(笑)
また更新楽しみに待ってます✧٩(ˊωˋ*)و✧
私も鬱です。子育てしながらなので子供には迷惑かけまくりです…>_<…鬱以外にも病気があり毎日がいっぱいいっぱいです。
うちの親は理解がないので羨ましく思います。
ワタクシの実母も若かったコトもあり、機嫌のいい時は通院だの、お祓いだの、お水取りなどしてくれましたが、ワタクシの病状が思ったように回復しないと、急に大声で怒り出して、大変哀しい思いをしました。
現在も通院、投薬治療は続けておりますが多種類にわたる薬を何年飲み続けても『こんなもんか。』ってな状況で、家計もかなり逼迫しております。
日本ももう少し弱者に優しい国になれば雰囲気も変わるだろうな。
現在は役場に助けを求めても、とりあえず申請もさせないよう弾かれますからね。
【行政は敵だ!】と思うようになり、すっかりトラウマになっている今日この頃。
方言のイントネーション心地よいです。
私は上五島に嫁いでもうすぐ10年。
いつかは息子たちに優しい上五島弁で語りかけることができるかな…
始め、私はそう言われるのは辛くないと思っていました。でも実際言われてみると、とても辛かったです(>_<)頑張る元気があれば頑張るのに、頑張りたいのに頑張れない…そんな思いでした。
私も休職して、実家に帰ったのですが、実家では「心配させないように」と頑張ってしまう自分がいました。休職するくらいだから、頑張ったところで普段の元気はありませんでしたが…少しでも明るく、泣かないように、頑張りました。
なので、実家にいても休まらないと感じたので、病院行かないといけないからと口実を作って、社宅に戻りました。毎日泣いても大丈夫。笑顔を作らなくても大丈夫。すごく楽でした。
まぁ、休職しているのにずっと社宅にいる訳にも行かないので、半分くらいは実家で過ごしましたが…
温かい親で良かったですね(^ ^)うちもそうなので、素直に甘えれば良かったのに、弱っている姿を見せたくなかったです(>_<)
たかが言葉、されど言葉、人の心は自分が思っているほど完璧ではないですよね。遅くなりましたが、ブログを読ませていただいて共感ばかりです。
今はうつ病の記事を読ませてもらってますが、私も2歳男子ママなので子育て記事も楽しませてもらおうと思います!
お母さん、最高。。。
優しい、良いお母さんだ。。。。。
なんか、読んでて辛かったから、エマさんの辛さがわかったから、お母さんで、救われた。
お母さん、長生きして欲しいな(о´∀`о)✨✨✴
今辛い事は料理が出来ない事、不眠です。
私も母と毎日メールして助けられています。
いつまでも大きな娘です。うつを治して皆を安心させたいです。私もうつから解放されたいです。
一生懸命だからこそ苦しくても頑張ってしまうんですよね…肩の力の抜きどころが分からなくなっていました。
家族や周りの人の助けって大事ですね!
お互いキツイ時は休んで、出来ないことは出来ない!と割り切ってぼちぼーちいきましょう^_^
ブログとインスタの更新楽しみにしています。返事の件もそうですが、くれぐれも無理なさらずお身体を大事にされてくださいね。